このLP《JUGEND MUSIZIERT – 11. Bundeswettbewerb 1974(Nr.257)》は、ヴァイオリニスト・アンネ-ゾフィー・ムターの歩みを知るうえで、記念碑的とも言える初期記録を収めた一枚である。1974年、彼女がまだ11歳の時に出演した「Jugend musiziert(ユーゲント・ムジツィアート)」全国大会の入賞者演奏会を収録した、ドイツ音楽評議会(Deutscher Musikrat)制作による公式アーカイブLPであり、一般流通を前提としない非商業盤である。


ジャケット裏:一番下が当時9歳のムター

Jugend musiziert は、単なる青少年向けコンクールではない。地区大会・州大会を経て全国大会に至る厳格な選抜システムをもち、公共放送や金融機関が関与する、ドイツ国家レベルの音楽教育・才能発掘制度である。本盤が収録するのは、その頂点に立った受賞者たちによる公式演奏会の記録であり、「優秀だった参加者」ではなく、「その年のドイツを代表する若き音楽家」が刻まれている。
ムターはこの舞台で、サラサーテの《ツィゴイネルワイゼン op.20》を演奏している。少女ヴァイオリニストにとって最難関の作品のひとつであり、超絶技巧のみならず、音程感、音色の統御、フレージングの成熟度、さらには舞台上での精神的強度までもが問われる楽曲である。この曲を全国大会の公式演奏会で取り上げ、しかも記録として残されたという事実は、当時のムターがすでに例外的な存在であったことを明確に示している。
特筆すべきは、この演奏の伴奏ピアノを務めているのが、彼女の実兄 クリストフ・ムター(当時12歳) である点である。兄妹による共演が国家公式の舞台で記録された例はきわめて稀であり、本盤は「天才少女ムター」の技量だけでなく、彼女がどのような環境で音楽を育まれてきたかを具体的に伝える貴重な証言でもある。(彼は現在は弁護士として活躍中とのこと)
年代的な価値もまた、このLPの重要性を際立たせる。
本録音は1974年6月、エアランゲンで行われた入賞者コンサートのライヴ収録である。ムターがヘルベルト・フォン・カラヤンに見出され、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演するのは1976年以降、ドイツ・グラモフォンへの公式デビューもその後である。つまり本盤は、カラヤン以前、DG以前、国際的キャリアが始動する前段階のムターを捉えた、きわめて初期の貴重な記録なのである。

さらにこのLPには、後にベルリン・フィル首席ヴィオラ奏者となる ヴォルフラム・クリスト によるヒンデミット作品の演奏も収録されている。1974年当時、彼もまた将来を嘱望された若手奏者の一人であり、この一枚は結果的に、後年ドイツ音楽界の中核を担う人材の“出発点”を同時に封じ込めた記録となった。Jugend musiziert が実際にトップ・オーケストラ級の演奏家を輩出してきた制度であることを、本盤は雄弁に物語っている。
このLPは商業的成功を狙った商品ではない。そのため主要なディスコグラフィーから漏れやすく、市場での認知度も決して高くはない。しかし内容の歴史的・資料的価値は、後年の商業初録音と比しても決して劣るものではなく、むしろ「成功を予告する証拠」として、より直接的な意味を持っている。
演奏を聴くと、後年の完成度の高いムター像とは異なる、若さゆえの直線的なエネルギーと集中力が印象に残る。同時に、単なる技巧の誇示に終わらず、すでに音楽として構築しようとする意志が明確に感じられる点は驚くべきことである。この時点ですでに「完成された演奏家の核」が存在していたことを、このLPは雄弁に語っている。
本盤《Jugend musiziert Nr.257》は、アンネ=ゾフィー・ムターという演奏家の起点を知るための最重要資料のひとつであり、同時にドイツの音楽教育と才能発掘システムが結実した文化史的記録でもある。ムターのファンにとっては、この一枚は単なる珍品ではなく、彼女の芸術を知るために欠かすことのできない核心的存在と言ってよいだろう。

クラシックレコード専門店・(株)ベーレンプラッテ 代表取締役
1961年新潟生まれ。
10代からクラシック音楽やオーディオをこよなく愛し、大学・大学院では建築音響を専攻(工学修士)。修了後は、ホールやオーディオルームなどの設計・施工などに従事。2002年からは、輸入クラシックレコード専門店であるベーレンプラッテを立ち上げ現在に至る。
年数十日はヨーロッパ(オーストリアやドイツなど)で過ごし、レコード買い付けや各地のコンサートホールやオペラハウスを奔走する毎日を送っている。
アナログ(音元出版)や放送技術(兼六館出版)などの雑誌にも多数寄稿。
クラシックレコードの世界(ミュージックバード)などの番組でも活躍。
五味康祐のオーディオで聴くレコードコンサート(練馬区文化振興協会)講師。
ウィーン楽友協会会員
ベーレンプラッテ
店主やスタッフたちが、直接ヨーロッパで買い付けをした良質なクラシックレコードのみ扱う専門店。
また、店舗でも使用している店主たちが厳選したレコードケア用品(クリーニングマシンやオリジナル内袋など)も販売中。
<公式SNS>
Facebook:ベーレンプラッテ
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