動的なバッハ――アルゲリッチ、イギリス組曲第2番

ギーゼキングとリパッティのバッハを続けて聴き、文章にまとめているうちに、もう一人、どうしても「バッハのピアノ曲」と言うと、思い出さずにはいられない演奏家がいた。
それが、マルタ・アルゲリッチである。

このLPを聴いたのは高校生の頃。
当時は「新譜」として雑誌に紹介されていた記憶がある。
今でもよく聴く一枚だが、針を落とすたびに、あの頃の空気や気分が、無意識のうちに蘇ってくる。

アルゲリッチ・バッハを弾く
(トッカータ、パルティータ第2番、イギリス組曲第2番)

アルゲリッチのバッハは、ギーゼキングやリパッティとは、はっきりと方向性が異なる。
前の二人の演奏が、どちらかといえば静的で、「音楽をあるべき場所に置く」タイプだとすれば、アルゲリッチは明らかに動的だ。
音楽は前へ進み、リズムは身体を伴って動き出す。

この特質が最も鮮やかに表れているのが、LPに収められたイギリス組曲第2番 BWV807だ。
とりわけ私にとって印象的だったのは、ブーレである。

アルゲリッチのブーレは、はっきり言って攻撃的だ。
切れ味は鋭く、推進力は凄まじい。
一瞬たりとも立ち止まらず、音楽は前へ前へと進む。
しかし不思議なことに、そこには粗さがない。
あれほどのエネルギーを放ちながら、優雅さを失わないのである。

ここに、アルゲリッチの凄さがある。
動的で、激しく、感情を孕んでいるのに、音楽の形は崩れない。
その結果として生まれるのが、単なる高揚だけでなく、私が当時感じた「切なさ」だったのだと思う。

ギーゼキングのバッハは、無理をせず、音楽を自然な呼吸の中に置く。
リパッティのバッハは、速めのテンポでも崩れず、「正しい姿勢」と品位が際立つ。
どちらも、後年になって深く納得できる演奏である。

一方で、高校生だった頃の私には、アルゲリッチのバッハのほうが、より直接的に響いた。
躍動しているのに、どこか翳りがある。
前へ進む力の中に、言葉にならない痛みが含まれている。
その感触が、若い私の胸に届いたのだろう。

今あらためて三者を聴き比べてみると、彼らは対立しているのではない。
人生の異なる時期に、それぞれが必要な場所に立っていたのだと感じる。
静かに立つバッハ。
正しい姿勢のバッハ。
そして、動きながら切なさを孕むバッハ。

アルゲリッチのこのLPは、私にとって今もなお、
「若い心でバッハと出会った記憶」を呼び覚ます、特別な一枚である。

ありがとう。

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