グリュミオーとベイヌムのブラームス

グリュミオーとベイヌムのブラームス/ヴァイオリン協奏曲(オリジナル盤)

このレコードを所持するということ

――グリュミオー×ベイヌムのブラームス

世の中には、「名演」と呼ばれる録音が数多く存在する。
しかし、“所持する意味”がはっきりと感じられるレコードとなると、その数は一気に絞られる。この アルテュール・グリュミオーエドゥアルト・ファン・ベイヌム による ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 は、まさにその数少ない一枚である。

まず、このレコードは「わかりやすく感動を与える」タイプではない。
音量は控えめ、独奏は前に出すぎず、オーケストラも決して煽らない。
それでも聴き進めるうちに、いつの間にか音楽から離れられなくなる。
これは、演奏者が自己主張を競い合う協奏曲ではなく、音楽そのものが静かに立ち上がってくる協奏曲だからだ。

グリュミオーのヴァイオリンは、決して大きな音ではない。
しかし、その一音一音には密度と重心があり、音程は揺るがず、線は澄み切っている。
感情を誇張することなく、しかし冷たくもならない。
ブラームスが書いた旋律が、本来あるべき姿で呼吸していることに、ふと気づかされる。

そしてベイヌム。
この指揮者が支えるコンセルトヘボウ管弦楽団は、大編成のオーケストラでありながら、ここではひとつの大きな室内楽のように鳴る。
独奏を覆い隠すことなく、かといって遠慮もしない。
中声部が豊かに息づき、音楽の流れが自然に前へ進んでいく。

このレコードを所持する喜びは、
「すごい演奏を聴いた」という満足感ではない。
むしろ、

今日はこのブラームスで一日を終えよう
と思わせてくれる、静かな信頼感にある。

年齢を重ね、派手な名演よりも、
音楽と誠実に向き合った演奏に心が動くようになったとき、
このLPは、確実に棚から手が伸びる存在になる。

レコードを“聴く”というより、
音楽と同じ空間に身を置く
その感覚を、これほど自然に味わわせてくれるブラームスは、そう多くない。

この一枚は、
コレクションを誇るためのレコードではない。
人生のある時期に、そっと寄り添い続けるためのレコードである。

——だからこそ、所持する意味があり、
そして、長く手放せない。

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