デイヴィスを聴く

「つまらない指揮者」と呼ばれた人 ― コリン・デイヴィス再考

サー・コリン・デイヴィスは、生前しばしば不思議な評価を受けてきた指揮者だった。
堅実だが地味、破綻はしないが面白みに欠ける。
ときには「つまらない指揮者の典型」などという、かなり手厳しい言葉すら投げかけられていた。

だが、いま改めて彼の録音を聴き直すと、その評価がいかに表層的だったかに気づかされる。とくに近年、古楽的アプローチ演奏になれた耳で聴くと、デイヴィスの音楽はむしろ新鮮ですらある。

デイヴィスは1927年、イングランド生まれ。若い頃はクラリネット奏者として活動し、その後指揮へと転じた。指揮者としての出発点から一貫していたのは、「自分を表に出さない」という姿勢である。テンポを大きく揺らすこともなく、ドラマを誇張することもない。音楽は常に自然な呼吸で進み、どこにも“事件”が起きない。

この「事件の起きなさ」こそが、彼の評価を分けた最大の要因だったのだろう。
20世紀後半は、カリスマ的な個性や、解釈の強さが評価されやすい時代だった。そうした中で、デイヴィスの音楽はあまりに誠実で、あまりに正攻法だった。

しかし彼は、決して無個性な指揮者ではない。むしろその逆で、作品の構造や論理を深く理解したうえで、「余計なことをしない」という、極めて高度な選択をしている指揮者だったと言える。

彼の名声を支えたのは、まずオペラの分野だった。とりわけベルリオーズ作品における功績は大きく、巨大で複雑な楽曲を、理知的かつ透明な構築でまとめ上げた。その経験が、後年の交響曲演奏にも確実に生きている。長いスパンで音楽を捉え、無理のない流れで終点へ導く力――これは一朝一夕で身につくものではない。

晩年、ロンドン交響楽団と築いた関係も見逃せない。派手さはないが、どの演奏にも深い信頼感があり、「この人に任せていれば大丈夫だ」という安心感がある。これは、指揮者として最高度の評価の一つではないだろうか。

デイヴィスの音楽は、初聴で感嘆を誘うタイプではないかもしれない。しかし、何度も聴くうちに、解釈の押しつけが一切ないこと、作品そのものが静かに立ち上がってくることに気づく。
それは「退屈」なのではなく、「信頼できる」ということだ。

最近あらためて彼のハイドンを聴きながら、私はそのことを強く感じた。
なぜこの指揮者が誤解されてきたのか、そして、なぜいまこそ聴く価値があるのか――次はその具体例として、ハイドンの交響曲について書いてみたいと思う。

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