私の好きな二人のピアニスト(その2)

「完璧」と「高潔」
ディヌ・リパッティ

「良い音楽家になるだけでは、決して充分ではない。神様から選ばれた「楽器」にならなければいけないのだ」

と、今回の主役である、ルーマニア生まれのピアニスト、ディヌ・リパッティ(1917~1950)は、死の床で息を引き取る間際に、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴きながら語ったという。

1917年生まれの彼は、ブカレスト音楽院で学んだ。1943年にウィーンで開かれたピアノ・コンクールで第二位を取り、楽壇の注目を浴びることになる。しかし、このとき審査員だった名ピアニストのアルフレッド・コルトーは、順位に不服を申し出て辞表を提出した。この事件と、コルトーとの出会いが、若きリパッティの栄光に満ちたキャリアのルーツとなるのだ。

この後、コルトーの勧めによって彼はパリで、ピアノをもちろんコルトーに、指揮をシャルル・ミュンシュに、そして、作曲をルーセルとナディア・プーランジェに学んだ。後にも記すが、若き日の彼が馴染んだ、パリの空気と教育が、いかに彼の芸風に大きな影響を与えたかは想像に難くない。

第二次世界大戦中は、ルーマニアに難を逃れていた彼であるが、戦後、西ヨーロッパに復帰して演奏活動を開始する。しかし、その頃に発病した白血病のため為、1950年12月2日ジュネーブで他界してしまう。享年33歳。

独特な芸風、そのルーツ

ルーマニア出身の音楽家には、ユニークな個性の持ち主がけっこういる。リパッティを始めとし、彼の親友であったクララ・ハスキルや指揮者のチェリビダッケなどだ。ルーマニアは、スラヴ圏に囲まれたラテン系民族国家という特殊なロケーションに位置する国家である。それゆえ、文化的にもスラヴの野生とラテンの洗練という独自の味わいを持っている。それは、彼らの演奏に接すれば、それとなく感じることができるであろう。

コルトーの勧めで、若くしてパリの風に触れたリパッティの演奏には、前述のルーマニア人特有の芸風のほかに、フランス風のチャーミングな味わいが感じ取れる。これこそ、当時のパリのはなやかなフランス文化の香りではないのかと、彼の演奏を聴きながら私は考えることがある。

一方、スラヴ的な野性味も、彼の演奏から聞き取ることも決して難しくはない。たとえば、モーツァルトやショパンのピアノソナタでの、特に左手の表情におけるデモーニッシュといってもよいほどの表現はいつ聴いても我々の心を打つのである。

厳選されたレパートリー

彼のLPへの録音は、ほんのわずかしかない。その理由は二つある。

ひとつは、その活動期間の短さである。ごくわずかの、例外(テスト録音がほとんど)を除いて、彼のレコーディング用に神様が用意してくれた時間はわずか約三年であった。

いまひとつの理由は、彼の「誠実さ」にあった。彼のレパートリーは決して狭くはなかったが、彼は、自分が完璧だ、と思わない限り、決して人前では弾かなかったらしい。(リパッティは、毎日12時間も練習したというが、ちょっとでも、思い通りに弾けないフレーズがあると、自分の指を、「この、マカロニの指!(中身がないと言う意味らしい)」と呼び、悲しがったという。それくらい、自分自身に対して厳しい人間であった。)また、断片的であるが、かなりの数のレコーディングを残したが、結局彼の満足できる出来ではなく、中断されたということである。

ここで、彼の数少ないコロンビアへの録音を思い出してみると以下のようになる。

ショパン
14のワルツ集
ピアノソナタ第3番
小品がいくつか(「舟歌」やマズルカ)

ショパン/「14のワルツ集」

バッハ
パルティータ第1番
「主よ、人の望みよ喜びを」ほかの小品

リパッティのバッハ(パルティータほか)

モーツァルト
ピアノソナタ第8番
ピアノ協奏曲第21番(指揮:カラヤン)

モーツァルト/ピアノ協奏曲第21番とピアノソナタ第8番

シューマン
ピアノ協奏曲(指揮:カラヤン)

グリーグ
ピアノ協奏曲(指揮:ガリエラ)

グリーグ・シューマン/ピアノ協奏曲集

他には、小品(自作を含む)がいくつか、そして、彼の死後発見された放送録音(残念ながら、録音状態はあまり良くない)がごく少数あるくらいである。

これらそれぞれが、まことに「お見事」と叫びたくなるくらいの名演である。

まず一聴して気づくのは、「湿っぽさ」が微塵もないことである。それが誠にすばらしい。たとえ、それがショパンの「ワルツ集」のような曲でも、センチメンタルな味わいなど一切なく、むしろあっさりとした表情、そしてやや速めのテンポで音楽は進められる。しかし、その音楽は、いつでも、決して高貴さを失わず、エレガントななかに哀愁をひめた、聞く人すべての感動をさそう見事な仕上がりとなって我々の心に迫って来るのだ。

1941年(死の9年前、つまり24歳のとき)に録音された、彼のプライヴェート録音を最近入手した。(CDではあるが・・・)幸いにも、それらと同じ曲を最晩年に録音したLPとの聴き比べが今もできる。どちらも、技術的には完璧で、申し分がない出来である。すでに、若干24歳の若き天才は、音楽的には完成されたものだったことに驚かされる。しかし、演奏全体から受ける印象は、最晩年ものに比べるとなにか物足りない。うまく話せないが、「感銘度」がまるでちがう。後年の演奏には、オーラが感じられるのだ。人間というものはたった9年間でこんなに成長できるのか?と、驚いてしまう!しかし、この間に味わった彼の、(不治の病から受けた)痛み・苦しみ、そして、悲しみの大きさを考えると、わたしはいつも複雑な感慨をもってしまう。(追伸:彼の最後にして、最も有名なLP「ブサンソン告別演奏会」について思いをめぐらすスペースが無くなってしまった。これについても、いつかここで、お話したい。             

リパッティの「ブサンソン告別演奏会」(最後の演奏会)

そのほかの彼のLPはこちらをご覧ください。

Related Posts

None found

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP