フィレンツ・フリッチャイ・・・私の好きな指揮者

残念ながら、わが国にはたったひとつしかないが、ドイツ各地には、特色のある、放送局おかかえのオーケストラが数多くある。

ポルシェやメルセデス・ベンツの本社がある、「バーデン・ヴュルテンブルグ」州の首都、シュトゥットガルトにも、南西ドイツ放送(SWR)交響楽団・・・日本名で「シュトゥットガルト放送交響楽団」・・・が1946年の創立以来、ドイツ名門オーケストラのひとつとして、活発な活動を続けている。

以前(といってもずっと前)ここが製作した、昔のテレビ番組をDVDで楽しむことができた。内容は非常にシンプルで、シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏会と、それに先立つリハーサルを収録したものであったが、これらがすこぶる面白かった。

まず、登場する指揮者たちの顔ぶれがみごとである。ジュリーニ、ノイマンそしてクライバーなど、ビッグネームであるのだが、あまり素顔に接することができない面々をそろえたのがうれしい。さらに興味深いのは、これらに登場する指揮者のほとんどが、「客演指揮者」であることだ。

気心が知れた、「主席」指揮者や音楽監督等とのリハーサルとなってしまうと、オケと指揮者の「せめぎあい」が少なくなってしまい、見るものには、ちょっと退屈してしまうからだ。

この数枚のDVDの中では、私には、特にフィレンツ・フリッチャイのリハーサル風景が特に印象的だった。(これは、DGGのLPでも聞ける。)

「モルダウ」(リハーサルと本番)

生きることは素晴らしい!

話を、DVDに戻そう。この番組が収録されたのは、1960年6月のことである。多分、この頃、すでに彼の体は、不治の病に冒されていたに違いない。(この番組中でも、何回か、それを匂わすことを言っている。)

今回、彼が取り上げた曲は、スメタナの「モルダウ」である。

彼の指揮ぶりは、リズムを正確に刻むことよりも、音楽がもつ雰囲気や音楽に登場するボヘミヤの人々のこころを表現することに終始する。その姿は、実にエネルギッシュで、大げさなジェスチャーをまじえたり、床を踏み鳴らすなど、最近の指揮者のスマートな指揮ぶりを見慣れた目には、ちょっとこっけいに見えるかもしれない。

しかし、そこから生まれる音楽は、実に感動的である。はじめは、彼の指揮に戸惑いがちのオーケストラのメンバーたちも、彼の情熱と集中力に圧倒されて、見事というほかのない演奏に仕上がっていくさまが見ている私たちにもストレートに伝わってきて、胸が熱くなってくる。

この「モルダウ」のリハーサルも大詰めを迎えたところで、彼は、「ここでは、音楽は生きることはすばらしい、と歌っています」と楽員たちに語り、それに続けるように、ちょっとはにかみながら、希望するように「生きることは、本当にすばらしい!」とつぶやく。もちろん、この頃の彼の心の中には、自分にはもう残された時間が短いということは既にあったにちがいない。だからこそ、なにか戸惑ったような表情に、見るものの心は、圧倒されてしまうのだ。

数多い録音

前にも話したとおり、彼がDGGに録音を始めた頃は、録音に積極的な指揮者は彼くらいであった。また、彼自身、熱心なオーディオファイル(という言葉が、当時あったかどうかは不明であるが)であったので、いつも、自分の録音について、調整室でレコーディング・プロデューサーやエンジニアたちと熱心に議論したとあって、数多くの録音のすべてが、音楽的にも、録音技術的にも、今でも一級品と言えるといえるものばかりだ!また、それらが、現代の音楽ファンたちにも、新鮮な喜びや感動を与え続けているのは驚異的だ!その根底には、一人の芸術家(人間)としての志の高い意志力があるからに違いない。

彼の多くのLPの中では、まず、バルトークをお勧めしたい。(いわゆる、「お国もの」という意味ではまったく無い!)しなやかで、弾力性の十分なメロディーの歌わせ方や、すさまじいまでの集中力が、バルトークの音楽ぴったりなのだ。また、モーツァルトやハイドンなどの「古典」ものもすばらしい。ワルターのように、メロディーをたっぷり歌わせた音楽を「甘口」ともし言うなら、これは、「辛口」な音楽はあるが、その高貴な表現からは、彼らの音楽だけがもつ、ある種の切なさが、聴くものに伝わってくる。

1950年代も終わろうとした頃から、急に彼の音楽は変化を見せる。ステレオで聴ける、ベルリン フィルとのベートーヴェン、ドヴォルザークやウィーン響とのモーツァルトのLPは、以前の彼の録音からはかなり趣を変えている。テンポがずっと遅くなり、音楽自体のスケールが巨大になってくるのだ。そのため、晩年のかれは、「フルトヴェングラーの再来」とまで、いわれるようになってくる。

もし、彼があと、10年、20年そして、現代まで、と長生きしていたら、いったいフリッチャイの音楽はどのような変貌を遂げたのだろうか?それを考えると、誠に残念な、そして、とても悲しい気持になってくる。

フリッチャイ最晩年の「第九」

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