カラヤンの「ばらの騎士」を聴く(2)

ヘルベルト・フォン・カラヤンが1956年に録音した《ばらの騎士は、指揮とオーケストラの完成度はもちろんのこと、歌手陣の理想的なアンサンブルによって、不朽の名盤として語り継がれている録音である。なかでも本盤の精神的中核を成しているのが、元帥夫人を歌う エリーザベト・シュヴァルツコップの存在である。

シュヴァルツコップの元帥夫人像は、単なる「高貴で美しい貴婦人」にとどまらず、時間の流れと向き合う一人の女性として、きわめて立体的に造形されている。声は若々しく艶やかでありながら、フレーズの端々にはすでに翳りと諦観が漂い、言葉の扱いには驚くほどの知性が感じられる。第1幕終盤の独白における時間感覚、愛を手放す決意の瞬間は、感情過多に陥ることなく、節度と気品を保ったまま深い余韻を残す。歌と演技が完全に融合した元帥夫人像として、本役の基準点の一つとされてきた理由が、ここにははっきりと刻まれている。

カラヤンの指揮も、このシュヴァルツコップの表現を過度に包み込むことはない。オーケストラは常に歌手の呼吸と言葉を最優先に据え、テンポや間(ま)は自然で、聴き手は「舞台上の時間」を明確に感じ取ることができる。後年の官能的で磨き抜かれたカラヤン像とは異なり、本盤では歌手の言語表現を中心に据えたオペラ指揮者としての姿が鮮明に示されている。

オクタヴィアン役を務めるクリスタ・ルートヴィヒも、本録音の成功に欠かせない存在である。若者らしい瑞々しさと貴族的な品位を併せ持った歌唱は、元帥夫人との関係性、そしてゾフィーとの純粋な愛情の芽生えを、声質の変化として自然に描き分けている。とりわけ第2幕の「銀のばら」の場面における透明感は、本盤屈指の名場面と言ってよい。

ゾフィーを歌うテレサ・シュティヒ=ランダルの清純で気品ある歌唱、そしてオックス男爵を演じる オットー・エーデルマンの存在感も特筆に値する。エーデルマンのオックスは、単なる滑稽役に堕することなく、威圧感と俗物性、そしてどこか憎めない人間味を併せ持った人物像として描かれ、ドラマ全体の重心をしっかりと支えている。主要キャストから脇役に至るまでの完成度の高さが、本盤を「歌手アンサンブルの名盤」として際立たせているのである。

1956年盤の《ばらの騎士》は、後年のウィーン・フィルとの録音に比べれば、音響的な豪奢さでは一歩譲るかもしれない。しかしその代わりに、本盤には言葉・演技・音楽が完全に一体化したオペラ本来の魅力が凝縮されている。シュヴァルツコップを中心とする理想的な歌手陣と、若きカラヤンの知的で引き締まった統率力――この二つが理想的な均衡を保ったときに生まれた、奇跡のような録音である。

カラヤンのディスコグラフィにおける重要作であると同時に、20世紀オペラ録音史における一つの完成形として、いまなお高い評価を受け続けている1枚である。

カラヤンの「ばらの騎士」(オリジナル盤)
カラヤンの「ばらの騎士」(オリジナル盤・モノラル)

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