私の好きな二人のピアニスト(その1)

この文章は、私がステレオサウンド誌の当店の広告ページに20年以上前に書いた文章です。
ちょっとお恥ずかしいですが、この二人のピアニストに対する思いは変わりなく、今でも彼らのLPやCDは愛聴盤です。
ちょっとお付き合いください。

バックハウス、ケンプ、ポリーニ、アルゲリッチ、ハスキル、・・・、私が実演やレコードで大きな感銘を受けたピアニストたちは数多い。しかし、「録音」という行為を通して、スピーカの前で、生涯忘れるとこのできない感動を私に与えてくれ、彼らのLPをターンテーブルに乗せるたびに、新たな発見と喜びに出会えるピアニストが、私には二人いる。アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)とディヌ・リパッティ(1917-1950)の両巨匠のことである。

「完璧」への執念・・・ミケランジェリ

磨き抜かれた透明な響きと、徹底した表現で、20世紀後半のピアノ界でもひときわ輝いたミケランジェリは、1920年に北イタリアの古都ブレジアに生まれた。4歳でピアノ教師の資格を持つ父親にピアノの手ほどきを受け、10歳の時にはミラノのヴェルディ音楽院に入学した。そして1938年の19歳の時、ジュネーブ国際コンクールで優勝し、審査員であったコルトーに「リストの再来」と絶賛された頃から、彼の世界的なキャリアが始まることになる。

しかし、まもなく第二次世界大戦が始まったため、空軍に入隊し、中尉まで昇進したが、ドイツ軍の捕虜となってしまう。戦後は、1946年に演奏活動を再開するが、健康を害して演奏活動を休止し、後進の指導に専念しながら、山男のような生活を送ったという。1950年代末、彼は突如として演奏活動を再開する。その後、アメリカでの演奏旅行では圧倒的な成功をおさめ、1965年には初来日して、以来4回にわたり日本を訪れた。1972年以降は、スイスのルガーノに居を移し、世界各地を演奏旅行で訪れて圧倒的な名声を築くが、1995年、心臓病のため、ルガーノに没した。

「私は他人のためにではなく、ただ自分自身のために、作曲家への奉仕の為に演奏する」と、あるインタヴューで語ったらしいが、この言葉こそ、彼の生き方すべてを象徴していると言ってよいだろう。

徹底した完璧主義者だったミケランジェリは、キャンセル魔として知られた。コンサート開演直前でも、平気でキャンセルするのだ。(事実、筆者も、日本でコンサート開始10分前のキャンセルや、演奏会が開かれても、途中で中止といったアクシデントに見舞われたことがある。)もちろん彼自身の健康上の理由もあるが、楽器の(私のような素人目からは)些細なコンディション故のキャンセルも多々あったという。しかし同時に、パーフェクトに調節されたピアノに向かい、超人的なテクニックで完璧に楽器をコントロールするミケランジェリの演奏には、決して、聴衆に名人芸を誇るところは微塵も感じられなかった。ピアノにもそして自分自身にも厳しく完璧を求める、この姿勢は、作曲家と音楽への奉仕の心の表れだったに違いない。

SP時代から、レコーディングのキャリアの長い彼ではあるが、自己に対してきわめて厳しいことから、残されたレコードはその名声に比して極度に少ない。さらに、その大半が本人から許可を得ていない古い放送録音や実際の演奏会ライヴ録音であるため、公式にリリースされたLPはほんの数えるくらいだ。しかし、それらは、聴くものすべてを虜にしてやまないほどの強烈な魅力を持っている。

二十年以上も前のことだったと思うが、DGから出された、ドビュッシーの「子供の領分」と「映像」を組み合わせた一枚をはじめとする一連の録音(ベートーヴェンのソナタ第7番とショパンの小品集)を聞いた時のことを、私は今でも昨日のことのように覚えている。

ミケランジェリのドビュッシー/「映像」と「子供の情景」

「これは、私が今まで慣れ親しんで聞いてきた“ピアノ”という楽器とは違う楽器だ!」と「子供の領分」第一曲の妙なる調べが、当時の私のお粗末なスピ-カから出た瞬間にそう思った。控えめな表情のなかに、すべてを語っているかのような徹底した表現、どんなに難しいパッセージでも、それを微塵も感じさせない、完璧なテクニック(というよりピアノをコントロールする能力)に打ちのめされてしまったのだ。

それにしても、彼の音色は何てすばらしいのだろう! タッチがきれいなピアニストは他にも多くいるけれど、彼は別格だ。特に、ピアニッシモからフォルテッシモまでの音色のコントロールが完璧になされているのには、何度聴いても驚嘆の念を禁じえない。

1965年に彼が初来日したした時のことである。彼の演奏を聴いたある評論家は「彼の音色はモノクロームだ」と言ったという。また、ある評論家は「非常に色彩豊かだ!」と評したという。私は、どちらの意見も正しいと思う。それだけ、彼の演奏はニュアンス豊かで、聴きようによっては、いかようにも聞こえてくるのである。

そのデリケートな演奏を見事に捕らえたDGの録音テクニックもすばらしい。私が知る限り、これ以降、少なくともピアノ音楽に関しては、演奏の微妙なニュアンスをこれ以上、克明に捕らえた録音には出会った記憶がない。

それ以来、これらのLPは、私のオーディオ・チェックレコードになってしまった。ミケランジェリの微妙なニュアンスが伝わらないシステムは、どんなにスペックが良くとも、(少なくとも私にとっては)優秀なシステムとは言えない、と思えるようになってきたのだ。ということは、これらのLPが私に、「録音(オーディオ)」という芸術のジャンルが存在することを教えてくれた初めての一枚だったということだろう。

深夜、小音量で彼のLPを演奏してみる、その、少しはにかんだような、ナイーヴな彼の表情がわがシステムから、ほんのかすかでも聞こえてくると、私のシステムも捨てたものじゃないな、と思い、スピーカやアナログプレーヤーたちの労をついねぎらいたくなる。

ミケランジェリのLPから

ドビュッシー/前奏曲第一巻

ショパン名演集

シューマン/「謝肉祭」

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